しばらく落合キャンプ場脇で休憩。
数台のバイク(ドガティ)が勢いよく先を急いで行った。まだ足はつったままですが、ここ居ても寒いので出発。
柳沢峠を過ぎると、下り坂が続く。立派な道路構造物が造られている。
かなりのヘアピンカーブが続く。下りのヘアピンは初めてで、しかも太ももつり状態。
ゆっくり道なりに走って行った。途中地元のゲンチャリに抜かれる。まあいいか。
大菩薩ラインをだらだら下る。
塩山市千野のセブンイレブンで休憩。
本田君は馬肉を買いに近くの肉屋に行きましたが、私はユッケ事件のことがあったので止めておいた。
しばらく休息してから、大月のうどん屋に行くことになった。国道は空いていた。高速道路の笹子トンネル手前では渋滞がみえる。
快適に国道20号を走り30分ほどで大月ジャンクションあたりに到着。そこから国道を右折、桂川に沿ってしばらく走り「小形山」のうどん屋に到着。
工場のような建物のなかに無造作な座敷と厨房。太いうどんが椀からこぼれている。
麺つゆはほとんどない。うどんという感じがしない。とりあえず食べた。
再び国道に戻り、上野原ICに向かう。
高速に乗ると案の定渋滞。仕方がないので車線の間を、頭を下げながら走行。
結構道をあけてくれる車が多かった。途中何回も止まりそうになった。
高速道路のバンフは止まってみるとかなりきつく。バイクを傾けて止まることになる。
倒れないように必死で踏ん張る。
藤野PAで小休止。かなりの混雑でバイクの置き場所もない。
再び渋滞へ、かなり流れるようになった。午後2時半に調布ICに到着。大体250㎞走行。
味の素スタジアムのロイホでコーヒーを飲んで、ツーリング終了。
そのあと尾久自動車学校のハーレーダビットソンの体験走行の様子を見にいく。
大勢の人が列を作っていた。疲れもあったので、市川教官に挨拶して、帰宅。
疲れましたけどまた行きたい、体をつくらないと。
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初めての本格ツーリング・その1
免許を取得してからほぼ1年経ちました。バイクの先輩(工務店仲間の大工さん)から電話があり、「ツーリングに行きませんかと」(かねてからの約束)のお誘い。飲んだ勢いもあって「行こう」となりました。
明朝7時半に石川パーキングエリアで待ち合わせ。
彼のバイク歴は長く、高校卒業からずーっということでほぼ25年とのこと。山梨県内のサーキットに出入りするツワモノ。
彼の名前は「本田さん」ですがなぜかSUZUKIの「隼」に乗っている。今回は参加していませんが背の高い「青木さん」はカワサキ「ニンジャ」。
ルートは彼に任せるしか仕方がない。
8時にパーキングエリアを出発。八王子ICより先に行くのは初めてでしたが、少し緊張しながら時速80kmくらいで走行。彼にも付き合って頂いた。
道路は連休にも関わらずそれほどの混雑ではなかった。
小仏トンネルを出ると下り坂の高架橋、よくハイキングで影信山に登った帰り途、下の道からこの高架橋をみると高さ100m有に超えているように感じる。
わたしは高所恐怖症で高い所にいると思っただけで、息切れや動作が固まることがあります。まして初めてのバイクツーリングで心臓はなおさらでした。幸い風もなく、周囲の車もおとなしく走って頂いたおかげで何とか無事通過。
上野原ICで降り、右に山の奥方向を目指す。いったん国道20号に出て左折、その後二股交差点を右折。道は空いている。しばらくすると上り坂の多い山道となる。ところどころ道は整備されているが、まだ所々狭い区間が多い。
15分走るとやや曲がりの道が多くなるがまだ急な上り坂は少ない。
棡原(ゆずりはら)で休憩、後ろから数台のバイクが追い越していった。近くの広場で近所のお年寄りがゲートボールを楽しんでいた。のどかな山間の風景です。
道路脇の案内板にこの先の道案内が出ていた。小菅村までの道案内でしたがかなりの坂道と蛇行道路が予想された。案の定の道でした。彼の跡をついていくだけのことを考えて、ただただ走って行こうと決めた。
途中鶴峠手前あたり細くて急なカーブが続くあたりで、後ろから来たバイクに一瞬気をとられ、ギヤチェンジの時期を失い、そのまま左カーブに進入してしまった。右に大きく膨らみ中央車線を大きく踏み出してしまった。反対車線から車が来ていればOUT。
よたよたで元の車線に戻り、後続のバイクに先を譲った。
小菅村に入り国道139号を右折、丹波山村に向かう。丹波渓谷をひたすら西に走る。しばらく順調でしたが、右足太ももがつり出しどうにも踏ん張りが利かなくなった。
リアブレーキの踏みすぎか、ニーグリップのしすぎか、体力のなさか、年齢的なものか?
よくゴルフ練習の翌日、太ももがつることがあったが?よくわからない。
しばらく落合キャンプ場脇で休憩。
チオビタドリンクを飲む。
安全配慮義務
3月11日に発生した東日本大震災は、甚大な人的・経済的被害をもたらし、日を追うごとに様々な問題が表面化、事態の終息の見通しは困難と思わざるを得ない。
そんな中で「日経新聞3月28日朝刊」に“企業の「震災法務」検証”という記事が目にとまった。そこには「災害時でも、企業は従業員や取引先に対して『安全配慮義務』がある」ということが記述されていた。
地震時、日本マイクロソフトは、セミナー顧客約300人を本社食堂にとどまってもらう方針をすぐに館内放送で顧客と従業員に知らせたという。オフィスには勤務者2500人分を超える水と災害キットが備えてあるとのことで、さすがである。
地震で取引先に対する債務不履行による損害賠償責任も、企業が直面するリスクだそうだ。債務不履行に関して不可抗力と主張することもできるが、免責されるかどうかは「災害当時の科学的知見に基づいて予見できる範囲の被害回避策をとっていたかどうか」が判断基準となるそうだ。
今回のことでまっさきに思い起こしたことがある。
それは以前からお付き合いのある会社のこと。この会社の社長は、戦争中に和歌山県で大きな地震に遭遇した経験があり、地震の怖さをよくご存じの方である。
社長のご自宅の耐震補強工事を行ったのが縁で、5年ほど前に会社内の地震対策についてもご相談をいただいた。本社オフィス(都心ビル高層階)を皮切りに、その後都内の工場の地震対策調査・工事を依頼され、機械・機器、備品、建物設備など1300点について、地震時危険な状況や業務に支障が発生しないようにという観点からランク付けを行い、どのランクまで対策工事を行うかの方針案を作成・検討し、工事を行った。さらに昨年には、前回の対策工事から数年経ち、機器などの移動や追加等もあるとのことで、本社および工場にて再度調査を行い、12月末までに2度目の地震対策工事を終了した。この工事では1回目より細かい部分まで(特に高層階にある本社オフィスについては長周期地震を視野に入れ)転倒・移動防止策を講じることとなった。
2月下旬に東北地方太平洋沖地震の予兆とも思える宮城県沖地震の際、かなり長く揺れたので本社の担当者に電話確認するも、全く被害なしということで安堵した矢先の、あの巨大地震であった。再び電話すると「工事しといてよかった」の一言をいただいた。被害は対策工事ができなかった移動式書架からの書籍落下と帽子掛けの転倒程度で、他はすべて問題なし、とのことであった。そして次の日の早朝には社長から電話があり、工場の被害状況について至急連絡するようにとの指示があった。
かのドラッカー氏は“戦略計画について「将来どうするか」は決められない。未来は予測できないからだ。だが見えない将来に対し「今何をすべきか」は分析をもとに決断できる。”と指摘している。わたしの知るこの会社の社長はドラッカー氏の「マネジメント」を読んだことがあるのかどうかはわからない(多分読んでないと思われる)が、天才的な事業家は“こんなことは当たり前”とでも言うように、地震後の次の対策に頭は向いているようであった。
まさにリスクへの対策は戦略計画の原点かと知らされた次第である。
毎週ツーリング
休日の早朝、ツーリングに出かけることにした。購入してから3カ月経っても、距離計は1000キロに届かず、仕事やゴルフの予定がない時、早朝走ることにした。早朝であれば内の奥さんはまだ寝ているし。起きたころに帰宅すれば、通常の休みの日程はこなせ、不服も起こらない。これは教習所の指導員の方のアドバイスもあって早朝の行動となった。
どこに行くかはその日の気分で決めた。
11月3日晴れ、午前5時東京タワーを目指した。早朝なので道はすいている。下の道を通り、虎ノ門から、神谷町、東京タワーへ。帰りは六本木、青山、表参道、代々木公園、井の頭通りを経て帰宅。8時半に帰宅。
11月7日晴れ、午前6時半奥多摩を目指した。五日市街道を走ったのですが、かなりの時間を要し、青梅駅に着いたのは午前8時。9時ころまでには戻らないと心配すると考え、奥多摩はまたの機会にということで帰宅。新青梅街道のルートで帰りましたが、帰宅途中めでたく走行距離1000キロ。9時半帰宅。
11月13日晴れ相模湖を目指す。午前6時調布ICから八王子方向へ。高速道路に出た途端渋滞。相模湖まで2時間半とのことでした。本線と追い越し車線の中央をゆっくり通行するも、八王子サービスエリアまで1時間、これじゃしょうがないとあきらめ、少し休憩所で休み、八王子ICでUターン。高速上りも国立あたりから渋滞、帰宅は9時半となる。
11月20日晴れ本日は奥さん出張で留守。早朝出かける予定が寝坊して外れ。午後7時では道路は混雑していると考え、家の中を片付け、会社に出かけ、雑用を済ませた。
今日はどこに行こうか考えたが、なかなか思いつかない。息子のところに行こうかと考えたが、メールの返事がない。明日は立川ライディングスクールがあるし、少し走りたい。
以前から気になっていたお寺がある。少年飛行兵の碑「少飛の塔」のある禅昌寺。父の生前ドライブの途中、「少年飛行のお墓がこのあたりにあるよ。行きますか」と伝えたら。父は「もう行ってきた」といって黙ってしまった。それからこのことには触れずそのままとなった。
父の気持はわからないが、少年飛行兵で生き残った人は少ない。町から3人志願して生き残ったのは父一人とのことらしい。そのことで何か気にしているのか。
父の代わりとはなんですが、一度行こうと思っていたので今日にした。
午後10時新青梅街道から武蔵村山市の禅昌寺へ、道は混雑していましたが、11時ごろ到着。
市民体育館のすぐそばにありました。境内はきれいに整備され、紅葉が始まるところでした。「少飛の塔」は境内本堂左側に立派なものが建てられておりました。
お参りをし、青梅街道を通り、午後12時半に帰宅。
11月21日日曜日午前9時 立川ライディングスクール
現在走行距離1320キロ
興津 ぐぁん
1月、静岡市清水区に「興津 ぐぁん」が完成しました。
フラーのジオデシック・ドームを参考にしたドーム状の屋根が特徴の「あずまや」です。
屋根の直径は3メートル程度で、一辺が60センチ弱の三角形75個を組み合わせています。
古井戸の周りに丸太のイスを置けば、ちょっとした休憩スペースにもなります。
「ぐぁん」はドーム屋根の下にいると「グァン」と音が響くことから、「天田愚庵」をもじって名づけました。
2月26日(土)武蔵野市役所で行われる「むさしの環境フェスタ」の住宅対策課・建築士会ブースにて「興津 ぐぁん」を紹介したパネルを展示しております。お近くの方はお立ち寄り下さい。
なお「ぐぁん」は、当社にてオーダー販売を予定しております。
お気軽にお問い合わせ下さい。