バイクその後

バイクのその後です。
バイク購入が平成22年7月、平成26年3月26日現在で距離13000キロ。
忙しくてあまり乗れていない。
最近立川ライディングスクールの開催も中断されていて、乗る機会が特にない。
●平成24年8月
雨の中を朝6時15分に出発、清水第2東名まで、我が本籍地に立ち寄り52号線を北上、雨は小雨、12時下部温泉到着、温泉に入り友人の電気屋さんの実家に立ち寄り、夕方6時帰宅。
●平成25年3月
軽井沢をめざす、関越富岡ICあたりで、寒くて降り矢島さん宅の炬燵で休憩、軽井沢は断念。ヒーター入りのウエアーがほしい。
●平成25年8月
清水 富士見ヶ丘カントリークラブのゴルフコンペに参加、朝4時にバイクで出発、ゴルフ場に7時前に到着。一通りの練習をしたが、3ホールまでパターで手が痺れて振動が止まらなかった。
翌日朝7時 友人H君と御殿場ICで待ち合わせ、伊豆箱根スカイラインを堪能。帰り熱海に降りて海岸沿いを走る。渋滞と熱波、行きはよいよい、帰りはなんとかで。
小田原道路から東名厚木、川崎ICで降り帰宅4時。

●平成25年10月
友人のH君とレーシングコースへ。
朝7時調布IC出発山梨県韮崎IC、昇仙峡ラインを右にスポーツランド山梨に9時に到着。
10時からスタート。友人H君の走りをみる。
最後尾にスタートし、中盤にはトップに。
孫との約束があったので、11時ごろ別れ、一人で帰宅。
●ゴルフ予定のない日曜日
中央道調布ICから相模湖東ICに、大垂水峠を走り高尾山ICより調布ICに戻る。
途中石川休憩所。

 

2014年3月31日 | カテゴリー : その他 | タグ : | 投稿者 : タカダ都市設計

ライディングスクール

ライディングスクールに通い始めて、1年が経ちました。
去年の7月バイクを購入した次の日に最初のライディングスクールが始まり、毎月行くことになりました。
クラスはAからEクラスまで講師を含め大体100人前後いつも参加します。女性も1割ほど参加しています。
様々なバイクが集まり壮観です。朝9時から始まり午後3時ごろ終了です。
最初は当然Aクラスですが、いろいろなことを学びました。
Aクラスではバイクの特性、バイクの乗り方、基本操作などをじっくり学習、最終的には八の字ができるように目指したクラスです。
①目、肩、腰:これは曲がるときの基本動作の順序になります。
②二―グリップ:バイクの安定した走行に不可欠な姿勢、単に膝でタンクを挟むのではなく、ふくらはぎ、くるぶし、でバイクを軽く挟む感じ。足の向きを内股にすると自然と二―グリップできます。
③ドアノブグリップ:交差点などでスムーズに曲がるときのハンドルグリップです。
一度曲がる方向のグリップを持ち替え同時に曲がる方向にやや頭・体をずらし重心の移動を行うと、よりスムーズな転回ができます。
④早目早目の状況判断:文字通りの動作、常に余裕をもったライディングを心がける必要があります。
⑤リーン・イン、リーン・アウト、リーン・ウィズ:曲がるときの姿勢、長所、短所があります。

 

ほかにもあるかも知れませんが今頭に残っていることは以上です。
Aクラスを4回ほど受けて、今はBクラスです。Bクラスでは少しコースが複雑になり、ブレーキ、旋回、ブレーキの繰り返しで、決められたコースを自己速度で走ります。
Cクラスも同様な練習になりますが、スピードが速くなります。
D・Eクラスではスラロームや一本橋が入ってきますし、コースもタイトでスピードが違います。
多分こけると後ろのバイクに踏まれます。
1年間で2回こけましたが、バイクに大した損傷はありませんでした。いずれもスピードコントロールを失い、エンスト、停止となりばったり。CB1300は特に重心が高いらしく、不意の場合足で支えることは無理です。
8月は暑いので休みになりますが、9月18日からまた始まります。
尾久自動車教習所の先生方にいつも大変お世話になっております。
おかげで無事1年を迎えることができました。ありがとうござました。
今後ともご指導よろしくお願いいたします。

2011年8月18日 | カテゴリー : その他 | タグ : | 投稿者 : タカダ都市設計

初めての本格ツーリング・その2

しばらく落合キャンプ場脇で休憩。
数台のバイク(ドガティ)が勢いよく先を急いで行った。まだ足はつったままですが、ここ居ても寒いので出発。
柳沢峠を過ぎると、下り坂が続く。立派な道路構造物が造られている。
かなりのヘアピンカーブが続く。下りのヘアピンは初めてで、しかも太ももつり状態。
ゆっくり道なりに走って行った。途中地元のゲンチャリに抜かれる。まあいいか。
大菩薩ラインをだらだら下る。
塩山市千野のセブンイレブンで休憩。
本田君は馬肉を買いに近くの肉屋に行きましたが、私はユッケ事件のことがあったので止めておいた。

しばらく休息してから、大月のうどん屋に行くことになった。国道は空いていた。高速道路の笹子トンネル手前では渋滞がみえる。
快適に国道20号を走り30分ほどで大月ジャンクションあたりに到着。そこから国道を右折、桂川に沿ってしばらく走り「小形山」のうどん屋に到着。
工場のような建物のなかに無造作な座敷と厨房。太いうどんが椀からこぼれている。
麺つゆはほとんどない。うどんという感じがしない。とりあえず食べた。
再び国道に戻り、上野原ICに向かう。
高速に乗ると案の定渋滞。仕方がないので車線の間を、頭を下げながら走行。
結構道をあけてくれる車が多かった。途中何回も止まりそうになった。
高速道路のバンフは止まってみるとかなりきつく。バイクを傾けて止まることになる。
倒れないように必死で踏ん張る。
藤野PAで小休止。かなりの混雑でバイクの置き場所もない。
再び渋滞へ、かなり流れるようになった。午後2時半に調布ICに到着。大体250㎞走行。
味の素スタジアムのロイホでコーヒーを飲んで、ツーリング終了。
そのあと尾久自動車学校のハーレーダビットソンの体験走行の様子を見にいく。
大勢の人が列を作っていた。疲れもあったので、市川教官に挨拶して、帰宅。
疲れましたけどまた行きたい、体をつくらないと。

2011年6月14日 | カテゴリー : その他 | タグ : | 投稿者 : タカダ都市設計

初めての本格ツーリング・その1

免許を取得してからほぼ1年経ちました。バイクの先輩(工務店仲間の大工さん)から電話があり、「ツーリングに行きませんかと」(かねてからの約束)のお誘い。飲んだ勢いもあって「行こう」となりました。
明朝7時半に石川パーキングエリアで待ち合わせ。
彼のバイク歴は長く、高校卒業からずーっということでほぼ25年とのこと。山梨県内のサーキットに出入りするツワモノ。
彼の名前は「本田さん」ですがなぜかSUZUKIの「隼」に乗っている。今回は参加していませんが背の高い「青木さん」はカワサキ「ニンジャ」。
ルートは彼に任せるしか仕方がない。
8時にパーキングエリアを出発。八王子ICより先に行くのは初めてでしたが、少し緊張しながら時速80kmくらいで走行。彼にも付き合って頂いた。
道路は連休にも関わらずそれほどの混雑ではなかった。
小仏トンネルを出ると下り坂の高架橋、よくハイキングで影信山に登った帰り途、下の道からこの高架橋をみると高さ100m有に超えているように感じる。
わたしは高所恐怖症で高い所にいると思っただけで、息切れや動作が固まることがあります。まして初めてのバイクツーリングで心臓はなおさらでした。幸い風もなく、周囲の車もおとなしく走って頂いたおかげで何とか無事通過。
上野原ICで降り、右に山の奥方向を目指す。いったん国道20号に出て左折、その後二股交差点を右折。道は空いている。しばらくすると上り坂の多い山道となる。ところどころ道は整備されているが、まだ所々狭い区間が多い。
15分走るとやや曲がりの道が多くなるがまだ急な上り坂は少ない。
棡原(ゆずりはら)で休憩、後ろから数台のバイクが追い越していった。近くの広場で近所のお年寄りがゲートボールを楽しんでいた。のどかな山間の風景です。
道路脇の案内板にこの先の道案内が出ていた。小菅村までの道案内でしたがかなりの坂道と蛇行道路が予想された。案の定の道でした。彼の跡をついていくだけのことを考えて、ただただ走って行こうと決めた。
途中鶴峠手前あたり細くて急なカーブが続くあたりで、後ろから来たバイクに一瞬気をとられ、ギヤチェンジの時期を失い、そのまま左カーブに進入してしまった。右に大きく膨らみ中央車線を大きく踏み出してしまった。反対車線から車が来ていればOUT。
よたよたで元の車線に戻り、後続のバイクに先を譲った。
小菅村に入り国道139号を右折、丹波山村に向かう。丹波渓谷をひたすら西に走る。しばらく順調でしたが、右足太ももがつり出しどうにも踏ん張りが利かなくなった。
リアブレーキの踏みすぎか、ニーグリップのしすぎか、体力のなさか、年齢的なものか?
よくゴルフ練習の翌日、太ももがつることがあったが?よくわからない。
しばらく落合キャンプ場脇で休憩。
チオビタドリンクを飲む。

 

2011年5月23日 | カテゴリー : その他 | タグ : | 投稿者 : タカダ都市設計

安全配慮義務

3月11日に発生した東日本大震災は、甚大な人的・経済的被害をもたらし、日を追うごとに様々な問題が表面化、事態の終息の見通しは困難と思わざるを得ない。
そんな中で「日経新聞3月28日朝刊」に“企業の「震災法務」検証”という記事が目にとまった。そこには「災害時でも、企業は従業員や取引先に対して『安全配慮義務』がある」ということが記述されていた。
地震時、日本マイクロソフトは、セミナー顧客約300人を本社食堂にとどまってもらう方針をすぐに館内放送で顧客と従業員に知らせたという。オフィスには勤務者2500人分を超える水と災害キットが備えてあるとのことで、さすがである。
地震で取引先に対する債務不履行による損害賠償責任も、企業が直面するリスクだそうだ。債務不履行に関して不可抗力と主張することもできるが、免責されるかどうかは「災害当時の科学的知見に基づいて予見できる範囲の被害回避策をとっていたかどうか」が判断基準となるそうだ。
今回のことでまっさきに思い起こしたことがある。
それは以前からお付き合いのある会社のこと。この会社の社長は、戦争中に和歌山県で大きな地震に遭遇した経験があり、地震の怖さをよくご存じの方である。
社長のご自宅の耐震補強工事を行ったのが縁で、5年ほど前に会社内の地震対策についてもご相談をいただいた。本社オフィス(都心ビル高層階)を皮切りに、その後都内の工場の地震対策調査・工事を依頼され、機械・機器、備品、建物設備など1300点について、地震時危険な状況や業務に支障が発生しないようにという観点からランク付けを行い、どのランクまで対策工事を行うかの方針案を作成・検討し、工事を行った。さらに昨年には、前回の対策工事から数年経ち、機器などの移動や追加等もあるとのことで、本社および工場にて再度調査を行い、12月末までに2度目の地震対策工事を終了した。この工事では1回目より細かい部分まで(特に高層階にある本社オフィスについては長周期地震を視野に入れ)転倒・移動防止策を講じることとなった。
2月下旬に東北地方太平洋沖地震の予兆とも思える宮城県沖地震の際、かなり長く揺れたので本社の担当者に電話確認するも、全く被害なしということで安堵した矢先の、あの巨大地震であった。再び電話すると「工事しといてよかった」の一言をいただいた。被害は対策工事ができなかった移動式書架からの書籍落下と帽子掛けの転倒程度で、他はすべて問題なし、とのことであった。そして次の日の早朝には社長から電話があり、工場の被害状況について至急連絡するようにとの指示があった。
かのドラッカー氏は“戦略計画について「将来どうするか」は決められない。未来は予測できないからだ。だが見えない将来に対し「今何をすべきか」は分析をもとに決断できる。”と指摘している。わたしの知るこの会社の社長はドラッカー氏の「マネジメント」を読んだことがあるのかどうかはわからない(多分読んでないと思われる)が、天才的な事業家は“こんなことは当たり前”とでも言うように、地震後の次の対策に頭は向いているようであった。
まさにリスクへの対策は戦略計画の原点かと知らされた次第である。

2011年4月4日 | カテゴリー : その他 | タグ : | 投稿者 : タカダ都市設計